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 日蓮正宗の目指すもの 

”広宣流布(こうせんるふ)”と”一生成仏(いっしょうじょうぶつ)”

 日蓮正宗を信仰する者は、正しい仏法によって自分自身の幸福な境涯を確立するとともに、真の平和な社会を築いていくことをめざしています。

 仏教では、人間として真実の幸せは成仏するところにあると説いています。

 成仏とは、死後の成仏のみを願ったり、人間とかけ離れた存在になることではなく、現実生活のなかで私たち自身が仏のような理想的な人格を形成し、安穏な境地にいたることをいうのです。

 仏には、法身・般若・解脱という3つの徳が具わってます。

 この三徳とは、清らかな生命と、物事を正しく判断する智慧、そして悩みや苦しみを克服する自在の境地をいいます。

 私たちも、正法を信仰することによって、自然にこれらの徳を身にそなえ、いかなる困難も乗り越え、人生を力強く歩んでいくことができるのです。

 末法に出現された御本仏日蓮大聖人は、すべての人々に幸福をもたらすため、「南無妙法蓮華経」という正しい教えを説き明かしました。

 そして弟子・信徒にたいして、この仏法を世界に弘めて真の平和社会を実現するようにご遺命されたのです。このご遺命の実現を「広宣流布」といいます。

 このように、一人ひとりの成仏と広宣流布を目的として、日蓮大聖人の教えを正しく実践していくのが日蓮正宗の信仰です。

(「法華講員の心得」より)

~信仰の実践~

御本尊へのお給仕

 ご本尊について、日蓮大聖人は、

「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」

と仰せられています。ご本尊は御本仏日蓮大聖人の御魂魄であり御当体です。

ですからご本尊へのお給仕は、生身の日蓮大聖人にお仕えするような気持ちで行うことが大事です。

 また、仏壇は清浄な場所に安置し、日々に仏壇を拭き清め、しきみの水を換え、お水をお供えし、灯明をつけ、香を焚きます。

 こうしたお給仕は、すべてがご本尊への供養となり、自らの功徳善根を積むことになります。

自行化他の信心

 日蓮大聖人は「自行化他の信心」を教えられています。

自行とは、自身の修行として勤行・唱題することなどをいいます。

勤行・唱題は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行いましょう。

 

 また、化他とは、日蓮大聖人の信仰を知らない人に対して、不幸の原因が誤った宗教(謗法)にあることを教え、日蓮正宗への入信を勧めることをいいます。

 この化他行を「折伏」といいます。

 

 この自行と化他行は修行の根本であり、これらをともに実践してこそ、成仏という大きな利益が得られるのです。

総本山への登山と寺院への参詣

 総本山大石寺へ参詣することを本宗では「登山」といいます。

大石寺は、本門戒壇の大御本尊が厳護され、日蓮大聖人の血脈が伝えられる仏法根源の霊地です。私たちは機会あるたびに総本山へ登山し、自身の罪障消滅と大願成就、さらに世界平和の実現を大御本尊に祈っていきましょう。

 また、私たちが所属する寺院は、大石寺の「末寺」です。

この末寺も、ご本尊が安置され、仏法僧の三宝が備わった道場であり、広宣流布を進める重要な法城です。

 私たちは、仏法の根源である大御本尊への絶對の信心を堅く持ち、総本山へ登山するとともに寺院に参詣し、信心に励んで行くことが大切です

仏様への御供養

 御供養とは、仏法僧の三宝に報恩の心を持って、金品等を供えることをいいます。

この御供養は、総本山の護持と寺院の発展、広宣流布を推進する基盤となるものです。

 日蓮大聖人は、

「凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり」

と仰せられ、私たち凡夫にとって清浄かつ純粋な志による御供養こそ、成仏の基になると教えられています。

​ 私たちは、正法の興隆と発展のため、また、自身の功徳を積んでいくためにも、真心からの御供養につとめていきましょう。

教学の研鑚

 日蓮大聖人の教えを学ぶには「御書」を根本とします。

「御書」とは、日蓮大聖人が書き残された教義書や、弟子・信徒に与えられた手紙などをまとめたものです。

 御書の内容は広汎で難解です。私たちは、寺院での御報恩御講や勉強会などに率先して参加し、日蓮大聖人のぷっぽうを正しく学びましょう

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