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日蓮正宗 総本山 大石寺縁起

 多宝富士大日蓮華山大石寺と称し、正応3年(1290)十月、宗祖日蓮大聖人の法嫡第二祖白蓮阿闍梨日興上人によって開創された。寺号の大石寺は、地名の大石ケ原に由来する。また、開基檀那は富士上野郷の地頭・南条七郎次郎平時光である。

 (​住所:静岡県富士宮市上条2057)
 日興上人は、弘安5年(1282)に大聖人から一切の御付嘱を受けられ、大聖人御入滅の後は身延山久遠寺の別当職に就かれた。しかし、その後数年にして、地頭の波木井実長が民部阿闍梨日向のそそのかしもあって次第に謗法をおかし、師の日興上人の再三の諌止にも拘わらず改めることがなかった。ために日興上人は、かねてよりの大聖人の「地頭の不法ならん時は我も住むまじ」との御遺言、また「国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」との御遺命により、遂に意を決せられて、宗旨の根本たる本門戒壇の大御本尊をはじめ、大聖人の御灰骨等一切の重宝を捧持して、正応2年(1289)の春、身延の山を離れ、大聖人御在世当時からの強信者たる南条時光の請によって富士に移られた。
 翌正応3年、大石寺を建立して大御本尊を安置し奉り、多くの御弟子方を養成されて、ここに宗門万代の基礎を築かれたのである。

​【主な堂宇】

三門(さんもん)

 

総門を入って約400メートルのところに建つ大楼門が三門である。
間口24メートル、奥行11メートル、高さ22メートル、木造朱塗り、荘厳美麗を究め、その規模においては東海随一である。
25世日宥上人の発願で、正徳2年(1712)、徳川六代将軍・家宣公が富士山の巨木70本を寄進、同御台所・天英院が黄金1200粒を寄進、六年の歳月をかけて享保2年(1717)8月に完成したものである。
その後数回小修理が施され、昭和6年、60世日開上人の時、桧皮茸であったのを銅桟茸に改められ、さらに昭和10年、丸柱の入れ替えなど、大改修が行なわれた。
現在、平成33年の宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年の記念事業として大改修が行われている。
昭和41年、県の有形文化財に指定された。

客殿(きゃくでん)

 

寛正6年(1465)9世日有上人が創建され、享保8年(1723)27世日養上人の時再建、また明治4年52世日霑上人の代、および昭和23年64世日昇上人の代、さらに昭和39年66世日達上人の代に、それぞれ再建された。
現在の建物は、平成7年1月の阪神・淡路大震災の被害に鑑み、67世日顕上人発願のもと、耐震性にすぐれた建物として、平成10年3月に新築落成したものである。
内部の基本構造は堅牢な鉄骨造りであるが、外装や堂内の仕上げは全て木材を使用し、温もりのある伝統的和風建築となっている。
間口・奥行とも約50メートル、高さ36メートルの二階建てで、建物内部に1112畳敷きの大広間を持つ客殿は、大石寺内で最も多くの法要が執り行なわれる中枢の建物であり、ことに日蓮大聖人の法脈を受け継がれた歴代法主上人が毎朝、広宣流布祈念の丑寅勤行を修される重要な堂宇である。

五重塔(ごじゅうのとう)

 

潤井川を隔てた高台にそびえ立つのが、東海道沿線随一の五重宝塔である。
26世日寛上人が、徳川6代将軍の御台所・天英院と共に、起塔の志を立ててその基金を遺しおかれた。その後5代の法主上人が素志を継ぎ、31世日因
上人が諸国を勧化して得た浄財と備中松山藩主・板倉勝澄公の寄進によって寛延2年(1749)に完成した。
規模は三間半(6.4メートル)四面で、高さ34.3メートル。昭和41年、国の重要文化財に指定された。

御影堂(みえいどう)

 

嘉慶2年(1388)、6世日時上人の時、越前法橋快恵の謹作により造立された日蓮大聖人等身の御影が安置されている。
はじめ大永2年(1522)、12世日鎮上人によって小御堂が建立され、寛永9年(1632)、阿波徳島の藩主・蜂須賀至鎮公夫人敬台院の寄進によって再建造営された。元禄12年(1699)、24世日永上人の時、および明治35年、56世日応上人の時修理が加えられ、さらに昭和46年、66世日達上人により、大改修が施された。また、平成18年から25年にかけて大改修が施された。
間口25メートル、奥行・高さ23メートル。
昭和四十一年、県の有形文化財として指定された。

六壷(むつぼ)

 

正応3年(1290)御開山2祖日興上人の創建で、大石寺発祥の霊域である。はじめ六室に分かれていたところから、この名があると伝えられる。
現在の建物は昭和63年10月、大石寺開創七百年の記念事業として、67世日顕上人の発願により建立された。十間四面の平屋建て、総けやき造り、内部の柱はわずか四本のみで、170畳の広さとなっている。

塔中(たっちゅう)

 

三門を入り、しばらく歩を進めると、幅広い石畳の参道に至る。この両側に建ち並ぶ蓮蔵坊をはじめ十三の坊が中央塔中である。春には参道を覆うように枝垂れ桜が咲き乱れ、参拝者の心をなごませてくれる。なお潤井川に沿って東搭中七ヶ坊、また西側にも三ヶ坊あり、いずれも登山信徒の宿坊になっている。

法祥園(ほうしょうえん)

 

平成2年春、大石寺開創七百年記念事業の一環として蓮葉庵南に造成された1.600坪余の広大な庭園である。晴れた日には、中央の明鏡池に富士山が鮮やかに映る。

奉安堂(奉安堂)

 

奉安堂は、67世日顕上人の発願により、宗旨建立750年を慶祝する記念事業として建立された、本門戒壇の大御本尊御安置の根本道場である。
平成12年4月に着工法要を奉修し、以来2年半の工期を経て、平成14年10月に落成した。
建物外観は、伝統的な日本の寺院建築様式で寄棟造り二層屋根になっている。地上1階、地下1階の鉄骨造り、間口75メートル、奥行116メートル、高さ55メートルの規模を誇り、これは、日本の伝統的寺院としては類を見ない最大級の規模である。
また堂内は、間口55メートル、奥行84メートルあり、信徒席には五千名分の椅子席を設けており、また、大御本尊御安置の須弥壇は、全体が特殊合金でできた金庫室になっており、耐震・耐火・防犯の面でも、極めて高い安全性が確保されている。
まさに奉安堂こそ、ここに集う日蓮正宗僧俗が、常に広宣流布と自らの罪障消滅、さらには日々の精進を誓う、崇高なる場所なのである。

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